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FSF は、あとになってこそこそするな - Linus Torvalds
[- 神か悪魔か - GNU の見えざる手 : 目次]
この記事は、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」の一部です。他のエントリとあわせてお読みください。

From: Linus Torvalds (torvalds@transmeta.com)
Date: Tue Aug 13 2002 - 11:51:45 EST

On Tue, 13 Aug 2002, Rob Landey wrote:
>
> 前回私がこの問題を注意してみたとき、ストールマンはアプリケーション・サービ
> ス・プロバイダを標的にした、とても大きな変更を伴う GPL 3.0 をリリースしよう
> としていた。この試みは(ASP ビジネスモデルと同様)消え去ったようだが、特許
> 問題は解決されないまま残っている。

 少なくとも、ひとつの問題は、まさに FSF の政治的画策にある。だから、(僕だけでなく)多くの人が、そんな GPL の新しいバージョンを信頼していないのだ。前回の改定の検討は暗い秘密の部屋で行われ、僕がその件を耳にしたのは、どの ML からでもなく、密告者が内部にいたからだった。

 そのこそこそとしたやり口を目の当たりにして、FSF に抱いていた尊敬の念はすっかり失せてしまった。

 Linux カーネルには、カーネルは付属する「GPL v2」の特定のバージョンに従うと、明確に記述してある。その理由は、まさに、第三者に政治的問題を持ち込まれるのがイヤだからだ。(「バージョン2」は「バージョン 2.1」を含むと曲解できないようにしたと自信を持っている)

 また、ライセンスとは双務的な関係である。既存のライセンスを法律的な技術上の問題がある以外の理由で変更するというのは、倫理的に正しくないことだと思う。古い GPL を採用し、その古い GPL に合意した人々を利用して GPL を拡張したいと多くの人が考えているようだが、僕はこれが大嫌いだ。(古い GPL を採用し合意した)人々は、必ずしも新しいものに合意したわけではない。

 結局、この話が持ち上がるたびに、僕は新しく出現する可能性のあるあらゆる「特許 GPL」について、それを新規のライセンスとし、既存の成果にたかることのないようお願いしている。それを「GPL」にしないでください。「General PublicPatent License」の GPPL にでもしてくれ。そして、それ自身の長所を認めた人に採用させるべきで、「おまえたちのためにこう決定するとFSFが片務的に決めた」からといった理由で採用されるものではない。

 僕は特許が好きじゃない。しかし、他人のコードを政治的画策につかうやつらには心の底から憎しみを覚える。正々堂々としろ、あとになってこそこそするな。


    Linus
(原文はこちら)


 一連のエントリで GPL 改変と、それに伴う影響について論じてきたが、先のエントリを書いたあとで、 Linux は GPL v2 に固定されているということを知った。なぜ Linus がそうしたのか、調べてみて発見したのが上のメール。

 Linux カーネルの作者 Linus Torvalds その人による、 FSF 批判である。あまり知られていないと思う (少なくとも僕は読んだことがなかった) ので、ここに紹介する。

 なお、訳に関しては正確を心がけたが、僕の立場によるバイアスが入っているかもしれない。間違いがあればコメントしていただければと思う。

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by kazuhooku | 2005-01-06 14:38 | GNU
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