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kazuho.exblog.jp - 奥 一穂の飲んでから書くブログ。なにもかもアルコールのせいです
必殺仕事人と有害ゲーム規制
 『「思考実験」の続き:なぜ「強姦」は禁止で「殺人」は禁止でないのか?』 (Alternative 笑門来福) について。
 平野さんの論の問題点は、「殺人」のような行為そのものを気にするあまり、行為の背景にある文脈を無視しているところにあると思います。

■文脈による罪/よらない罪

「CERO倫理規定 6ページ 別表3 禁止表現」より抜粋

<反社会的行為表現>
1.テーマ・コンセプト上必然性の無い大量殺人・暴行を目的としている表現
2.麻薬・抗精神薬等の規制薬物で、医療目的等の本来の目的以外に不正に使用されることを肯定する表現。
3.虐待を肯定する前提での虐待シーン表現。
4. 犯罪を賞賛、助長することを肯定する表現。
5.売春・買春等を肯定する表現。
6.近親姦の表現、強姦を肯定する表現。
7.未成年による飲酒・喫煙表現を明確に推奨している表現。

(詳しくは、http://www.cero.gr.jp/regulation.html)

(中略)
なぜ「麻薬」「強姦」「売春」は禁止で、「殺人」「暴行」は禁止でないのか?

 「麻薬」「強姦」「売春」が許容されることは決してありません。これらの行為は、どのような場合であれ、決して正当化されることがない犯罪です
 一方、「殺人」「暴行」には、違法性をもたない場合違法性阻却事由が存在する余地があります。戦争において敵を殺傷するのは正等な行為ですし、正当防衛が成り立つようなケースもあります。また、犯罪組織間の抗争のような脱社会的な文脈についても、一般社会に被害が及ばない限りにおいて (罪として裁かれこそしますが) あまり問題視はされません。
 つまり、前者を規制することは CERO の目的であるところの反社会的なコンテンツを規制することと同義であるが、後者の規制は、反社会的でないコンテンツにも抵触してしまう可能性をもつことになります。この問題を防ぐために、わざわざ「テーマ・コンセプト上必然性の無い」という制約が付与されているわけです。

■表現と法規範

 「殺人」については、さらに、「必殺仕事人」のように、違法な殺人を積極的に許容する可能性すら存在します。なぜ、このような表現が許容されるか。それは、仕事人の行為が法規範には反しているものの (悪人を罰しているという点で、法規範の根元である) 社会規範には合致している (反社会的でない) からです。
 表現に対して法規範を持ち出すことは、表現を殺すことにつながります。「(法規範の限界を超えて) 社会規範を執行するヒーロー」というストーリーは、古来より最も人気のある類型のひとつです。違法行為を含む表現を有害とするのであれば、多くの子供向けテレビアニメは、直ちに放送中止すべきでしょう。
 私は、必ずしも暴力過多な表現を是認するわけではありませんが、それらテレビアニメ (多くのゲームも) の主題が、社会を守る、という点にあることを見逃してはならないと思います。

■現行の規制は無為なのか?

もし、今回多く出た意見のように「ゲームの内容は少年少女に悪影響を及ぼさない」のであれば、「禁止表現」を指定し規制をする必要はないということになります。もし、CEROの自主規制が根拠なく行われているのであれば、法律の制定どころかこの自主規制さえ必要なく、CEROに対して禁止の解除を求めるべしということになりますが、この点について、参加各位はどう考えられるでしょうか。

 この点については、論理が飛躍しているのではないかと思っています。
 私の認識が正しければ、現行の「ゲーム無影響論」は、ゲーム内の暴力行為が青少年に影響を及ぼすか、という点について調査したものです。
 一方で、CERO の規制は「反社会的」か否かという行為の文脈に着目した規制であり、行為そのものへの規制ではありません。
 現行の「反社会的」でないゲームが青少年に影響を及ぼさないからといって、規制を撤廃した後に出現しうる「反社会的」なゲームの「反社会性」が伝播しない保障はありません
 私はゲームの表現を法で規制するのには反対ですが、現行の自主規制は、表現の幅を確保しつつも、一定の品質を担保するという点で、バランスがとれていると感じています。一消費者として、規制の存続を希望します。

注: 理由の如何によらない犯罪の代表例として「人道に対する罪」があります
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by kazuhooku | 2006-07-10 00:01 | 雑想
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