「ほっ」と。キャンペーン
kazuho.exblog.jp - 奥 一穂の飲んでから書くブログ。なにもかもアルコールのせいです
カテゴリ:GNU( 17 )
Novell の弁明
 MSとNovellの提携について - mhatta のジャーナルにも触れられている GPL 違反の疑いについて Novell の見解が出たということで見てみた。

Q1. How is this agreement compatible with Novell's obligations under Section 7 of the GPL?

Our agreement with Microsoft is focused on our customers, and does not include a patent license or covenant not to sue from Microsoft to Novell (or, for that matter, from Novell to Microsoft). Novell's customers receive a covenant not to sue directly from Microsoft. We have not agreed with Microsoft to any condition that would contradict the conditions of the GPL and we are in full compliance.

Novell's end user customers receive a covenant not to sue directly from Microsoft for their use of Novell products and services, but these activities are outside the scope of the GPL.

(Novell and Microsoft Agreement - Frequently Asked Questions)

 つまり、GPL と矛盾するライセンスを受けるのはユーザーであって Novell ではないから、 Novell の再配布権は失われない、という主張なのか。

 それって三者間契約って言うんじゃないのかなぁ、よくわかんないけど。エグい感じ。

 今後の展開に期待ですね。
[PR]
by kazuhooku | 2006-11-09 11:16 | GNU
GPLv3 のドラフトが出た
 CNET Japan では、『「GPLバージョン3」の草案、まもなく発表へ』となってるけど、 GPLv3 のドラフトが出た

 とりあえず、特許周りがどうなったのか、眺めてみる。

When you distribute a covered work, you grant a patent license to therecipient, and to anyone that receives any version of the work, permitting, for any and all versions of the covered work, all activities allowed or contemplated by this license, such as installing, running and distributing versions of the work, and using their output. This patent license is nonexclusive, royalty-free and worldwide, and covers all patent claims you control or have the right to sublicense, at the time you distribute the covered work or in the future, that would be infringed or violated by the covered work or any reasonably contemplated use of the covered work.

If you distribute a covered work knowingly relying on a patent license, you must act to shield downstream users against the possible patent infringement claims from which your license protects you.
(GPLv3 Draft - 11. Licensing of Patents.)
 第1段落は、まともっぽい。
 第2段落が気になる。これは、配布者に対し、受け取ったユーザーを特許係争から保護しようと努めなければならない、と言っている。この条項が適用される配布者は、具体的には、以下のどちらなのだろう。

a) 「GPLv3 以上」でソフトを配布している者
b) 「GPLv2 以上」でソフトを配布している者

 特に他のところで限定されていなければ、 b になるような気がする注1。でも、そうだとすると、 FSF が後から、配布者に義務を負わせることができるということになってしまう注2。たとえば、「配布者はフリーダイヤルによるユーザサポートを提供しなければならない」とか。うーん、どうなんだろう。

注1: 全部ちゃんと読めってことですね orz
注2: GPL が開発者の権利を制限するケースについては考えていたけど、義務を課するケースについては想定外 (^^;) だった。おもしろいなぁ

[PR]
by kazuhooku | 2006-01-17 15:52 | GNU
誰がための著作権譲渡か (その 2)
[- 神か悪魔か - GNU の見えざる手 : 目次]
この記事は、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」の一部です。他のエントリとあわせてお読みください。

予告:本論は追記・訂正・取下を検討中です

 先の記事「誰がための著作権譲渡か」で、 FSF への著作権譲渡契約において、FSF の使用権を GPL に限定していない注1ことを指摘した。
 ここでちょっと視点を変えてみる。著作権譲渡契約には、以下のような問題もあるのではないか。

 FSF が破産したらどうなるのだろう。FSF が著作権を保有するソースコードの著作権は競売にかけられるか、債権者の手に渡るのではないか。

 著作権譲渡契約において、FSF の使用権が GPL に基づく配布に限定されていれば、 FSF が破産したとしても何の問題も生じない注2
 しかし、実態は異なる。先に指摘したように、 FSF の使用権は BSD 様のものである。つまり、FSF のソフトウェア資産を取得した者は、それをプロプライエタリソフトウェアに組み込んだり、第三者に組み込む権利を販売したりすることができるのである。

 実際問題としては、 FSF が特許侵害訴訟 (あるいは著作権侵害訴訟) に敗訴しても注3 IBM 等の企業や世界中のユーザーから支援が得られるだろうから、FSF が破産する可能性は低いだろう。

 しかし、最初から (FSF に著作権を譲渡して) 資産を集中させたり、(不必要に大きな権利を FSF に譲渡することで) 資産価値を増大させたりする必要はないのではないか?

 資産がない団体は、誰も訴えないだろうし、たとえ破産しても、ユーザーコミュニティで安価にソフトウェアの著作権を買い取れるわけだから。


 この論について、間違いがあれば (あるいはなんらかのエスクローが存在するのであれば) 、指摘してほしい。

注1: 「譲渡されるソフトウェアが公開されているところのライセンス条件に制限していない」というのが正確な表現
注2: GPL の新バージョンを作成できなったり、 GLIBC のライセンスを GPL に変更できなくなる程度か
注3: 上級審で係争中ですが、 eolas がマイクロソフトに勝訴したようなケースを考えています

[PR]
by kazuhooku | 2005-02-01 13:33 | GNU
権力集中の危険性
[- 神か悪魔か - GNU の見えざる手 : 目次]
この記事は、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」の一部です。他のエントリとあわせてお読みください。


 GPL ソフトウェアのライセンスに「GPL2以上」と書くべきか「GPL2のみ」とすべきか、という点について、まつもと氏は、

具体的な可能性が予見されない限り、FSF を信頼する
というスタンスのようだ。

 一人の人間として、このように性善説のもとに立てるのは、立派なことだと思う。しかし、具体的な可能性が予見できないからと言って

「権利行使方法を FSF に供託する」(まつもと氏; リンクのコメント部)
という態度は、僕は間違っていると思う。

・Stallman は現在のところ信頼できる人物かもしれない
・そして、 Stallman が代表を務めている GNU は、現在のところ信頼できる組織かもしれない
・しかし、一時期偉大だった人物が、後になって豹変する例は、枚挙の暇がない
・また、偉大な指導者が設立した組織が、その死後変質した例も、いくらでも挙げることができる

このような認識に基づいて、僕は、多くの人が「権利行使方法を供託」することで、特定の組織に権利を集中させることは望ましくないと考える。GPL が広範に採用されている影響力の大きなライセンスであることを考えると、FSF に権力が集中している、というのが妥当な認識だろう。

 そして、一般的に言って、特定組織に権利が集中している、というのは注意が必要な状況である。


 まつもと氏は、それでも、「私は私自身よりも彼を信頼します」 (リンク) と言って、「権利行使方法を供託」することを正当だと主張するかもしれない。この主張には一理ある。それは、なぜなら、権力集中による相乗効果がない場合は、平均よりも信頼できる単一の個人または組織に皆が「権利行使方法を供託」することで、フリーソフトウェア全体としての発病率 (問題のある新バージョンのライセンスが採用されてしまうこと) を下げることができるからである。

 新バージョンのライセンスが使用条件を緩和する方向だった場合、相乗効果は、あまり生じないのではないだろうか。GPL3 が BSD 様のライセンスになったと仮定してみる。開発者の反応は、せいぜいが怒り狂うだけであって、なんらかの具体的な影響があるかどうかは不明である。 GPL ソフトウェアのカスタマイズ事業を展開している会社などは、弧発的であった場合は影響を他のプロジェクトで吸収できたところが、受注への影響を一時に蒙ることで倒産してしまうかもしれない、とか、僕が思いつくのはその程度だろうか。

 しかし、新バージョンが使用条件を厳格化する方向だった場合は、相乗効果があるのではないか。KDE と GNOME を例に挙げる注1。仮に一方のみが発病した場合は、他方に乗り換えることで、使用者は影響を低く抑えることができる。しかし、両者が同時に発病してしまうと、代替選択肢がなくなってしまう。要は、同一分野に複数のソフトウェアが存在する場合、権力が集中していなければ代替を見つけることができるが、集中していると見つけることができなくなってしまうということだ注2

 このように、FSF への権力の集中は、現実的な危険を孕んでいる。

 相乗効果よりも発病率低下の影響の方が大きいのではないかという反論もありうるとは思う。しかし、よほど詳細に分析してそういう結論が出ない限りは、定数的な要素よりも定性的な要素を重要視すべきである。


 以上のように、FSF に権力を集中させるのは問題である。単に注意が必要というだけではなく、後半述べたように実際に相乗効果が存在する以上、なおのこと用心してかかるべきではないか。

注1: 実際には、KDE のライセンスは GPL ではない。GNOME と同時に発病することがないのは、実に幸運なことだろう。
注2: 新ライセンスが受容できない場合は、旧ライセンスで公開されていた頃のソフトウェアを使い続ければよい、という反論は強弁である。くわしくは、「GPL バージョン変化の隠された意味」を参照してください。

[PR]
by kazuhooku | 2005-01-31 12:11 | GNU
GPL バージョン変化の隠された意味
[- 神か悪魔か - GNU の見えざる手 : 目次]
この記事は、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」の一部です。他のエントリとあわせてお読みください。


先の記事「GPL FAQ の説明は適切なのか」において、 GPL FAQ は、見た目と異なり、開発者個人の権利については一切論じていない、という点を指摘した。

 では、ライセンス条件変更を受け入れることができなかった各個の開発者は、どうすればよいのだろうか。開発プロジェクトをフォーク (分割) して、GPL2 時代のバージョンを改良し続ければよい、という意見はあるだろう。しかし、プロジェクトが「GPL バージョン 3 以降」に移行するのは、実際には移行によるデメリット (一部開発者離脱による開発力の低下) がメリット (移行賛成派にとって GPLv3 が GPLv2 より、どれほど優れているか) を上回る場合である。つまり、プロジェクトのライセンス条件変更が発生するのは、変更を受け入れることができない人々が少数派であった場合の話なのである。少数派がフォークしたとしても、改良の速度は、以前とは大幅に低下するだろう。極少数であった場合は、フォークした後のメンテナンスすら、可能かどうか怪しくなるかもしれない。
 このように、個々の開発者にとっては、「開発者は、そうしたければGPLの以前のバージョンに従った利用を許可し続けることができます」という主張は、常に成り立つとは限らないのである。

 また、バージョン変更の意味が周知の事実ではなく、その意味の理解を FSF が必須事項として要求していず、GPL FAQ の説明すら適切でないという前提において、「GPL2 時代のバージョンをそのまま使い続ければいいではないか」という主張も誤りなのではないか。たとえば、 GNU/Linux 向けに商用ソフトウェアを販売しているような個人あるいは企業にとっては、主流派の動作環境にアクセスするために GPL3 を受け入れない限り、ビジネスからの撤退が不可避である。報道によると、GPL3 では特許の不争条項が導入される可能性があるが、その場合、GPL3 は、これらの個人あるいは企業は、ソフトウェア特許の行使権放棄とビジネスの二者択一を迫ることになる。

 GPL のバージョンが変化する、ということには、このような問題も存在するのである。
[PR]
by kazuhooku | 2005-01-31 12:08 | GNU
GPL FAQ の説明は的確なのか
[- 神か悪魔か - GNU の見えざる手 : 目次]
この記事は、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」の一部です。他のエントリとあわせてお読みください。


 GPL の FAQ 内の項目『「プログラムで「GPLのバージョン2かそれ以降のバージョン」というような指定をするのはなぜですか?』が周知されていない点については、「ライセンスが変化するということの意味は、周知の事実なのか」で指摘した。
 しかし、問題は周知されていないという点だけに留まらない。この FAQ の説明自体にも問題がある。

 GNU FAQ は、「developers」という、一般的には個々の開発者をイメージするような単語を使って、

However, developers are not obligated to do this; developers can continue allowing use of the previous version of the GPL, if that is their preference.
(http://www.gnu.org/licenses/gpl-faq.html#VersionTwoOrLater)
と、あたかも個々の権利が保証されているかのように振舞っている。

 しかし、ここでは「developers」は、「個々の開発者」という意味ではない。「開発プロジェクト」という意味なのである。

 多くの場合、フリーソフトウェアの開発は、複数の個人 (としての開発者) が共同で行っている。複雑で広く使われているソフトウェアの場合であれば、なおさらだ。そういったケースにおいて、「GPL バージョン 3 以降」へ移行するかどうかは、プロジェクト全体として決定される事項だ。ひとりひとりの開発者が、「オレは v3 以降にする~」「オレはどうしよっかなぁ」「オレはやめとく~」と、別個に決定する類の話ではない。したがって、「developers」が「開発プロジェクト」を指していることは明らかである。

 この点に気づくことは難しい。実際、日本語訳を見ても「developers」の訳語として「開発者」をあててしまっている箇所がある。これは訳者が、「developers」が開発プロジェクトではなく、開発者個人を指していると素直に読んでしまったことを示しているのではないか。

 権利の保証といった重要な問題の説明において、このような曖昧な語の使い方は、不適切である。しかも、結局、開発者個人の権利がどう守られるのかについては一切記載されていないのである。

 続きは、「GPL バージョン変化の隠された意味」をご覧いただきたい。

注: 訳者が「開発プロジェクト」の意であると認識していたとしたら、別の訳語を使ったか、あるいは「開発者たち」で統一されていたのではないか。
[PR]
by kazuhooku | 2005-01-31 12:06 | GNU
ライセンスが変化するということの意味は、周知の事実なのか
[- 神か悪魔か - GNU の見えざる手 : 目次]
この記事は、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」の一部です。他のエントリとあわせてお読みください。


 GNU は、GPL ソフトウェアのライセンス条件に、

This program is free software; you can redistribute it and/or modify it under the terms of the GNU General Public License as published by the Free Software Foundation; either version 2 of the License, or (at your option) any later version.

このプログラムはフリーソフトウェアです。あなたはこれを、フリーソフトウェア財団によって発行された GNU 一般公衆利用許諾契約書(バージョン2か、希望によってはそれ以降のバージョンのうちどれか)の定める条件の下で再頒布または改変することができます。
(日本語訳: opensource.jp のライセンスの翻訳より概要部分引用)
と記すよう促している。(http://www.gnu.org/licenses/gpl-howto.html)

 ライセンス条件中の、「バージョン2か、希望によってはそれ以降のバージョンのうちどれか」という文言は、開発者が FSF に対し「権利行使方法をFSFに供託する注1」ことを意味している。FSF が、より使用条件の緩和されたバージョン3をリリースすれば、著作権者の意思に関係なく、その著作物を新たな使用条件の下で使用できるようになる。あるいは、より使用条件の厳格化されたバージョン3がリリースされた場合、著作権者以外の第三者が、新たなより厳しい条件の下で著作物を再頒布(かつ/または)改変できるようになる。

 この「権利行使方法をFSFに供託する」という特徴は、GPL ソフトウェアのライセンス契約について考える際、欠くことのできないものである。しかし、その意味が正しく理解され、広く知られているとは、とても言えないのではないか?

 GPL について説明したウェブサイトを挙げてみる。

http://www.gnu.org/licenses/gpl-faq.ja.html
http://www.atmarkit.co.jp/aig/03linux/gpl.html
http://e-words.jp/w/GPL.html
http://pcweb.mycom.co.jp/special/2004/gnu/
http://ja.wikipedia.org/wiki/GPL
http://home.catv.ne.jp/pp/ginoue/memo/gpl.html
(2005/1/29 15時にGoogle で「GPL」を検索 (日本語のみ)した結果トップ10から、ライセンスの翻訳を除いたもの)
 これらのうち、 FSF の FAQ 以外で、GPL のバージョンアップについて触れているものはない。また、 FSF の FAQ にしても、問題を的確に説明できているとは言えない (「GPL FAQ の説明は的確なのか」) 。
 さらに、 FSF の How to (http://www.gnu.org/licenses/gpl-howto.html) を見ても、冒頭に書いたのと同様、「バージョン2以降」と書くことを薦める一方で、 FAQ は「more detailed information (より詳細な情報)」だとしている。この点から分かるのは、開発者が GPL ライセンスの下にソフトウェアを公開する際、「バージョン2以降」と書くことの意味を理解していることを、 FSF が必須条件とはしていない、ということである。

 また、GPL ライセンスの採用を他人に薦めている、日本のオープンソース開発者の中で有名なまつもと氏のような方ですらライセンス条件について間違った解釈をしてしまうのである。であるから、ライセンスが変化するということの意味のみが正しく周知されている、とは、到底考えられない。
[PR]
by kazuhooku | 2005-01-31 12:04 | GNU
FSF は、どうあるべきなのか
[- 神か悪魔か - GNU の見えざる手 : 目次]
この記事は、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」の一部です。他のエントリとあわせてお読みください。



 GPL v3 について、CNET Japan (および ITmedia) の記事がRuby の作者まつもと氏の日記で取り上げられていた。

 その中の、氏の『GPL2かまたはGPL3の「好きな方」を選ぶことができる』から問題ない、という指摘が気になったのでコメントをつけたところ、丁寧な再反論をいただいて、議論になっている。ありがとうございます>まつもとさん
コメントにコメントで続けてきたのだが、反論に留まらない自分の意見については、自らのブログで書くべきと考え、エントリを起こすことにした。 (一連のやりとりについては、氏の日記を参照):

 まつもと氏は、GPL が信頼によって成り立っていると指摘する (僕も賛成だ) 一方で、GPL に付属する「How to Apply These Terms to Your New Programs」において FSF が、「バージョン2以降」とする点に注意喚起せずに、ただ、「version 2 of the License, or (at your option) any later version」と書けばよいと記していることについて、

FSFの立場から言えば当然だとは思いますが。

というか、ライセンス文書で「私は将来信頼できない行動をするかもしれないから」と注意喚起する人がいたら、むしろそっちのほうが普通でないと思います。
としている。

 しかし、GPL は、普通の契約なのだろうか? 一般的な契約とは、相手が信頼できない(かもしれない)という前提の下に、穴がないような合意を文書に起こす作業である。通常のライセンス契約の話をするのであれば、FSF が一方的に条件を変更できるということ自体が論外であろう。
 また、GPL は、対等な2者間で取り交わす契約とは異なる。FSF が時間と労力をかけて作成した統一契約を、開発者や利用者、個々人に提示しているという点で、企業が消費者と結ぶ契約に近い。

 FSF は、いまや巨大な影響力を持つ組織であり、FSF が一方的に有利な契約を一般の個々人と締結する以上、その意味について説明責任を果たすべきだと、僕は思う。これは、大企業が個人より高い倫理規範を求められるのと同じことだ
 ましてや、 FSF は、通常の契約ではありえない性善説に基づいた「信頼」を開発者に要求している。その同じ組織が「ライセンスに書いてあるから問題ない」と言って契約を完全に理解できていなかった少数派を無視するとしたら、それはダブルスタンダードである。

 FSF は、ライセンスの変更が契約者に不利益をもたらす可能性について説明してこなかった不作為責任がある以上、その意味を変更すべきではない。少なくとも、新しいライセンスを公開してから発効するまでの猶予期間を設ける等して、誤った理解をした人々の救済をすべきであろう。
 それが、通常の契約を超えて「信頼」してくれる開発者に対して FSF が示すべき誠意だと、僕は思う。

 また、こうした議論をしておくことは、今後、ソフトをどのようなライセンスの下で公開すべきか、どのようなライセンスのソフトを使用すべきか、考える際に有意義であると思う。

 あとは、FSF が秘密主義的かどうか、という問題だが、Linus Torvalds 氏のメールで触れられている前回の改定検討について、具体的に検討された内容、日時、等が公開されていない点を見ても、ライセンスの検討がオープンでないことはあきらかだ。ソースコードはオープンであるべきだと、あれほど主張しているのにもかかわらず。
 また、先の記事「誰がための著作権譲渡か」で書いたように、著作権譲渡契約についても、一般公開されていない。繰り返しになるが、「GPLを強制する上で最良の立場に立つ」ため、と言いながら、実際の契約には、改変の公開を義務付ける条項は含まれていない。

 GPL を運営する前提条件である、皆から信頼される組織でありたいと考えているのであれば、FSF はもっとオープンになるべきだ。ライセンスの改訂をこそこそ検討したり、いい加減な著作権譲渡契約を交わしたりするべきではない。みずからを衆目にさらし、誤解の種をひとつひとつ取り除いてゆく、それがあるべき姿ではないのか。

注: (2005/2/2 追記) 私はここで、(弁護士が契約書を作成するような) 団体と (弁護士に契約確認を頼むことのできない) 個人が契約する場合において、個人の利益が不当に損なわれないよう保護が必要だという立場に立っています。この立場は、消費者契約法等の背景にあるもので、一般的なものであると考えます。
[PR]
by kazuhooku | 2005-01-26 10:34 | GNU
t.ikawa 氏のコメント: 危険なのは「特許条項」一般ではない
[- 神か悪魔か - GNU の見えざる手 : 目次]
この記事は、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」の一部です。他のエントリとあわせてお読みください。


t.ikawa 氏より精緻なコメントをメールでいただいた。私一人で読んでいるのはもったいないので、許可を得て以下に掲載させていただく。


----- 以下、 t.ikawa 氏よりのコメント -----

GPLの動向を懸念する奥様の疑問の方向性自体は正しいと思いますが、危険なのは「特許条項」一般ではありません(後述の通り、むしろ望ましい、入れるべき条項もあります)。「不争条項」一般が危険なのでもありません。危険なのは、特定の極端な条項です。「特許条項」一般を危険視するような議論は、むしろ、誤解を招く可能性があります。

実際、「特許条項」に関する問題は多岐にわたります(CNETの記事でもごく簡単に触れていますが)。たとえば、特許条項といっても、「そもそもライセンス契約に特許条項を入れるか」と「不争条項」等は、別の問題です。また、各々、条項の内容により結論が異なります(これは独占禁止法に関連して、以前にコメントした通りです)。そのため、これらを一括して論じることはできません。

たとえば「ライセンス契約に特許条項を入れるか」については、ある種の特許条項は、存在した方が(ライセンサ・ライセンシ双方にとって)望ましいとされています。

以下、具体的な例で説明いたします。また、これも後述しますが、この議論はGPLにも当てはまります。

1. 「特許条項」一般について

ライセンサ(A)がライセンシ(B)にソフトウェア(C)をライセンスすると仮定します。普通、ソフトウェアのライセンスといえば、著作権のライセンスを連想します。しかし、ソフトウェア特許が存在する結果、当該ソフトウェアC は単なる著作物ではなく、特許権の対象ともなる場合があります。その場合、当該ソフトウェアにつき、単に著作権上のライセンスを受けたのみであれば、ライセンシ B は、当該ソフトウェアを単に「使用」することもできないとも、文言上は読めます。(米国でも日本でも、特許権の対象となるソフトウェアの「使用」は特許権の侵害になるためです。特許権の「消尽」や、ライセンス契約の性質に関する細かい議論がありますが、省略します。)

しかし、これはいかにも不当な結論ですので、文言上は特許権に触れていなくても、AはBに、ソフトウェア C につき「暗黙のライセンスを付与している」(後述のCNETの記事の表現に従いました)と解釈することもできます。しかし、これは暗黙の解釈に頼った曖昧な状態ですので、AもBも、この点については明確化したいと考えるのが普通の対応です。

そのように明確化した場合、具体的な文言の例は以下のようになります:

「AはBに、ソフトウェア C につき、『著作権および特許権』(または『著作権、特許権およびその他の一切の知的財産権』等)上のライセンスを許諾する」。

このような「特許条項」は、AB双方にとって望ましいものですので、多くの実務家は、ソフトウェアライセンス契約に同様の条項を入れることを望みます(無論、特許権の許諾の範囲はソフトウェア C に限りますし、ライセンスの内容も詳細な記述をつけ、広範な許諾を防ぎます。この辺は著作権のライセンスと同じです)。実際、最近のある程度きちんとしたライセンス契約(特に欧米の場合)は、ごく普通に当該条項が入っています(一方、日本等では、まだ未整備な場合も多いです)。

以上は、ライセンス契約(できれば MS, Oracle, Adobe 等の米国企業との、ある程度きちんとした契約)に関する専門家(学者または経験豊富な実務家)であればわかりますので、必要がございましたら、一度、相談されることをお勧めします。(適当な書籍が私の手元にあればよいのですが……)

また、これは特定の当事者の特定のソフトウェアに限られないため、GPLについても、このような「特許条項」を入れるべきではないかとの議論が存在しています。

たとえば、CNETの記事の以下の部分は、この点に触れたものと思われます。この部分だけでは意味が曖昧ですが、上のような背景を踏まえれば、より理解しやすいと思います。(但し、CNETの記事は、英文も説明不足だったり、和訳も不十分だったり、全訳でなかったりする場合もあるので、きちんとした議論をする上での文献として使用するのは危険です。私の上記の議論も、この記事に基づいたものではなく、法律と実務に基づくものです。)

Linuxベンダー最大手のRed Hatで、主席知財専門弁護士を務めるMark Webbinkは、2000年に修正の加えられたGPL草案に最初に目を通した人物だが、同氏によると、現行のGPLでは、ソフトウェアを配布している特許権保持者が、それらの特許権に関する「暗黙のライセンスを付与している」との解釈も可能だという。しかし同氏は、特許に関する合意を作り、明示することが(問題解決の)有効な手段ではないかと指摘する。「ディストリビュータは、自分たちがどのような権利を人に与えているのか、曖昧なままにしておきたくはないだろう」(Webbink)(見直しがすすむGPL - CNET Japan

2. 不争条項について

不争条項についても全く同様で、「どのような不争条項か」をきちんと確認する必要があり、それによって結論は異なります(これについては以前コメント欄で簡単に説明させて頂いたことがありますが、不争条項の内容によって、独占禁止法の関連する規定も異なりますし、それによって判断基準も違反の効果も異なります)。

この部分も、極端な不争条項であれば問題がありますが(最悪、独占禁止法に抵触する)、場合によっては特に問題のない不争条項もあります(実際、特許権の不争条項入りのソフトウェアライセンス契約も普通に存在します)。

詳細な分析は本論から外れますので省略しますが、実際の条項によって全く異なる、という点をご理解ください。(実際問題としても、分析すると本一冊分になるのでご勘弁ください。)

3. 結論

繰り返しで恐縮ですが、危険なのは「特許条項」一般ではありません(上記の通り、むしろ望ましい、入れるべき条項もあります)。「不争条項」一般が危険なのでもありません。危険なのは、特定の極端な条項です(そして、特定の極端な条項が危険なのは、「特許条項」に限りません)。特許条項自体に危険性があるかのように読める主張は、本来ライセンサ・ライセンシ双方にとって望ましい条項に対して、誤解を生むことになりかねません。

GPL v.3 の特許条項が、上記のような「極端な特許条項」(おそらくは不争条項の一種)なのか、ドラフトを読むまでわかりません。ドラフトを入手しても、慎重に検討する必要があります。(その場合でも、契約文言の解釈である以上、経験豊富な専門家ともタッグを組むことをお勧めします。)

色々な記事を読む限り、一部の人間はそのような「極端な特許条項」を主張しているように思われますが、それが有力説かは疑問があります。(いくつかの理由がありますが、少なくとも、既存の報道に関する私の理解が正しければ、Bruce Perens の主張するような条項は、まともな法律の専門家が加わっていれば、採用されるとは思われません。これよりは穏当な不争条項が入る可能性もありますが、その場合には、その影響も含めて、慎重な検討が必要になります。)

これも繰り返しですが、率直に申し上げて、GPLの動向を懸念する奥様の疑問の方向性自体は正しいと思います(私も懸念しています)。しかし、現時点で「特許条項」自体を危険視するのは、前述の通り望ましくありません。

むしろ、そのようなエントリで、多くの人間が誤解する可能性(ライセンサ、ライセンシの双方にとって望ましい特許条項が誤解される等)を懸念します。

以上ご参考まで。今後とも、啓発的なエントリを楽しみにしております。

----- 以上、 t.ikawa 氏よりのコメント -----

[PR]
by kazuhooku | 2005-01-25 22:56 | GNU
GPL v3 についての日本語記事
[- 神か悪魔か - GNU の見えざる手 : 目次]
この記事は、「神か悪魔か - GNU の見えざる手」の一部です。他のエントリとあわせてお読みください。


 CNET Japan に、「見直しがすすむGPL」という記事が出ている。
 特許問題以外の部分にも触れられている他、特許問題についても Novell の意見等も紹介されている。

 そういった種々の変更注2を計画しながら
「(新版は)全体的に見て、Version 2と同じものになりそうだ」
新版注1GPLの下でソフトウェアをリリースする人々が、それらの改正に不満を抱くとは思えない」
と言い放つ Stallman の態度には、やはり納得がいかない。

注1: CNET の誤訳だと思われるので、取り消し線を入れます (20:20)
注2: 記事によると、 Stallman は CPL のような特許の不争条項を導入しようとしています。これは、かなり大きな変更です (2006/1/26 追記)

[PR]
by kazuhooku | 2005-01-25 13:33 | GNU